東京地方裁判所 昭和43年(行ウ)3号 決定 1969年1月24日
原告 酒井りつ
第一一五号事件被告 人事院
第三号事件被告 国
主文
原告の被告人事院に対する訴え(第一一五号事件)を却下し、被告国に対する請求(第三号事件)を棄却する。
訴訟費用は両事件とも原告の負担とする。
事実
第一、当事者双方の申立て
(原告)
第一一五号事件について
被告人事院が原告に対して昭和三六年四月二六日付人事院指令一六―五をもつてした「請求者(原告)の請求にかかる災害は、公務上のものとは認められない。」との災害補償審査請求事件の判定を取り消す。
訴訟費用は同被告の負担とする。
第三号事件について
被告国は、原告に対して、一、三六八、〇〇〇円とこれに対する昭和三六年四月二七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は同被告の負担とする。
(第一一五号事件被告人事院)
本案前
主文同旨
本案
原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。
(第三号事件被告国)
主文同旨
第二、原告の主張
(請求原因)
一1 原告の亡夫酒井庄太郎(以下「本人」という。)は、昭和二四年一月から水産庁東海区水産研究所(当時水産試験場)に勤務し、同年四月から天鷹丸(二一八トン)の船長(農林技官)として所属船員を統率して同船の適切な運行および船体の管理保全につとめ、各海区水産研究所の調査に協力するという職務に従事していたところ、同庁北海道水産研究所の「北洋さけ、ます調査天鷹丸調査要領」に基づく調査(以下「本件調査」という。)業務のため、同三四年五月二〇日東京港を出港し、同年八月二五日任務を終了して釧路港に入港するまで、同船の操船責任者として右調査に協力する業務に従事した。
2 本件調査は、六月中は中部アリユーシヤン列島の南方水域において従来米国側により行なわれた沿岸寄りの水域に加え、比較的沖合水域において標識放流を実施し、七月中ベーリング海では「べにざけ」の分布の北限およびアリユーシヤン列島南方の比較的沖合水域から東カムチヤツカ北部へ移動する「しろ、ます」をチエツクし、八月中は東カムチヤツカ沿岸寄りの水域において主として未成熟魚と北海道河川に「秋さけ」としてそ上する「しろ」を主目標として放流することを目的とした。
3 右調査の間本人は、霧、一〇メートル前後の強風等の劣悪な自然環境のもとで、後述するように日に日に悪化する症状の苦痛に耐え、一度としてその職務を部下にゆずることなく、ほとんど毎日漁場を変更している調査海域における調査期間中は、午前二時過ぎには自ら船橋に立つて、先ず一時間内外の投繩操船を、それが終つて繩回わりを含めて四、五時間経過後、三時間内外を要する場繩操船を連日のように繰り返し実施した。
二、本人は、本件調査業務に従事中七月初旬頃発病し、八月二五日釧路港入港後直ちに同地の病院に入院したが、旬日も経過しない九月三日同所で死亡したところ、死亡診断書の病名は、胃がん兼肝臟およびウイルヒヨウ腺への転移、続発性貧血症であつた。
三、本人の死亡病名とされているがんは公務上の疾病ではないが、本人は、次に述べるところから明らかなように、公務のためがんが増悪する等した結果死亡したものであるから、右死亡は、国家公務員法(以下「国公法」という。)、国家公務員災害補償法(以下「補償法」という。)、人事院規則一六―一(船員である職員の災害補償)(以下「規則」という。)に定める公務上の死亡にあたるというべきである。
1 本人は、同三二年頃がん研究所附属病院で健康診断を受けたが、当時がんの兆候はなく、本件出航直前の同三四年五月九日の定期健康診断の結果も心臟肥大および大動脈硬化症以外の疾病はなく、同年四月三日の船山市朗医師の診断(同月二三日再診)も慢性胃カタル程度であり、本件出航当時は頑健そのものの健康体であり、通常人が時に不調を訴える程度の胃腸障害が時折あつたにすぎなかつた。なお、同三三年以前も一、二回船山医師の診察を受けたことはあつた。
ところが、出航後六月下旬頃から腰部に鈍痛を覚え初めたため、あんま、指圧等を施したが、七月上旬疼痛は背部、左大腿部裏側にも拡がり、同月中旬には胃痛も伴い、同月三〇日たまたま入港したアダツク島において米国海軍病院の診察を受け「胃けいれん」と診断されたところ、その後も症状は悪化の一途を辿り、八月中旬には船内の歩行等もひとりでできない程非常に衰弱し、前述したように入院するに至つた。
2(一) 既に述べたように、本人の本件調査に従事中の勤務条件は苛烈極まりないものであつたところ、本人はこれによる肉体的条件の悪化に屈することなく、終始旺盛な責任感で任務を遂行したこと、他方、本件がんの増殖速度が著しかつたことからすると、本件公務の遂行ががんの疾患を著しく増悪させたことは明らかである。(A1の主張)
仮りにそうでないとしても、本人の直接死因は心臟衰弱であり、その第一次原因は貧血症であるところ、右病症は、本人の公務遂行による前記肉体的条件の極度の悪化ががんとあいまつて作用し、死の転機を著しく早めたというべきである。
(A2の主張)
(二) がんに対する唯一の治療法は早期発見、早期治療であるところ、本人のがんは、出航後六月下旬頃までは治癒手術が可能であつたが、天鷹丸には医師が乗船しておらず、三ケ月に亘る航海であるため、右手術の機会を奪われた。また、本人は交際が広く、がんの専問医にも知人がいたから、本件調査に従事しなかつたとすれば、早期に治療を受け一命を取り止めることもできた。(B1の主張)
仮りに前述した自覚症状が生じた当時既に治癒手術が不能であるとしても、がんについても姑息な治療により相当期間の延命を図ることができるところ、本件調査のため右機会も逸した。(B2の主張)
(三) 天鷹丸に医師が乗船していないことは前述したとおりであるが、船員が良好な健康状態で船上勤務ができるよう予備員制度を設けることが官民の船舶を問わず通例であるところ、水産庁所属の船舶には当時右制度が採用されていなかつた。このため、本人を初め同庁所属船員は、健康に障害がある場合も無理を押して乗船を余儀なくされ、したがつて、本人が出航当時仮りにがんに罹つていたとしても乗船せざるをえず、また、航海の途中下船療養する道も封ぜられ、かような労働条件が本人の死の転機を著しく早めたこともいなめない。(Cの主張)
四、以上からして、本人の死亡は、公務上の死亡として公務災害に該当するところ、公務災害補償の実施機関である農林省は、これを公務上のものと認められないと認定したため、遺族である原告において被告人事院に審査請求したが、同院も同三六年四月二六日付人事院指令一六―五をもつて、本人のがん疾患は本人の従事した公務によつて著しく増悪したものとは認められないという理由で、本人の死亡を公務上のものと認められない旨の判定を下した。
右判定が本人の従事した公務と本件死亡との間の因果関係の解釈、適用を誤り違法であることは以上から明らかであるから、被告人事院に対して右判定の取消を求める。(第一一五号事件)
五、本件死亡により遺族である原告に支給されるべき災害補償は、補償法、規則によると、遺族補償一、二九六、〇〇〇円、葬祭補償七二、〇〇〇円以上合計一、三六八、〇〇〇円であるから、被告国に対して右金員とこれに対する前記判定のなされた日の翌日である同三六年四月二七日から完済まで年五分の法定利率による遅延損害金の支払を求める。(第三号事件)
(被告人事院の本案前の抗弁に対する反論)
一、第一一五号事件訴えの却下の申立ては、時機に後れたもので不適法である。
本訴訟は昭和三六年一〇月に提起され、釧路市まで出張証人尋問を行なう等の証拠調を経て同四〇年一二月弁論を終結したところ、本申立ては、同四二年二月に至り初めてなされたもので、その狙いは、国の機関ともあろうものが、故意に本案判決を避けるための手段として訴訟判決を求めるものであり、訴訟上の信義則にも反している。そして、被告人事院の本件判定が抗告訴訟の対象になるかどうかは、裁判所の職権調査事項ではない。
二、人事院の公務災害補償審査に関する判定は、次に述べる理由により、抗告訴訟の対象となる行政処分である。
1 公務員の恩給、退隠料を受ける権利の発生要件は、恩給法上抽象的に定められているが、恩給局長の裁定という行政処分により初めて具体的請求権が発生すると解されており、災害補償の性格、手続は、恩給、退隠料のそれと類似しているから、両者を区別すべき特段の理由はなく、災害補償においても、これが実施機関の認定または人事院の判定により、具体的請求権が発生すると解するのが相当である。
2 労働基準法(以下「労基法」という。)八五条による災害補償に関する行政官庁の審査結果が抗告訴訟の対象となる行政処分にあたらないことは争わないが、(イ)労基法八五条三項は、昭和三一年の改正により「第一項の規定により審査若しくは仲裁を開始した事件について民事訴訟が提起されたときは、行政官庁は、当該事件については、審査又は仲裁をしない。」と定めて、行政官庁の審査が行政処分でないことを明らかにしているところ、補償法については同様の定めがなされていないこと。(ロ)補償法は、実施機関、人事院に対して罰則のある強力な調査権限を与えているが、労基法にはこれに対応する規定を欠いでいること。(ハ)人事院規則一三―三(災害補償についての審査の申立て)は、厳正な手続を設けるとともに判定は指令で行なうと定めて、判定が直接公務員の権利に影響する処分であることを示していること。以上の諸点からみて、労基法と補償法とでは災害補償の取り扱いを異にしているから、前者についての前述した見解は後者について適切でない。
3 労働者災害補償保険法(以下「労災法」という。)による保険給付は、同法所定の手続に則り行政機関が保険給付の決定をすることにより給付の内容が具体的に定まり、受給者はこれにより保険給付を請求する具体的権利を取得し、右決定に不服のある者は再審査を請求し、更に、その裁決に不服がある場合出訴できることは、同法の規定上明らかである。そして、労災法も行政機関に対し補償法と同様な罰則を伴う調査権限を与えているから、補償法における認定、判定の性質等を、労災法の決定、裁決のそれと区別すべき理由はない。
第三、被告らの主張
(被告人事院の本案前の主張)
一、被告人事院が原告の審査請求についてした本件判定は、行政事件訴訟法(昭和三七年法律一三九号、昭和三七年一〇月一日施行)による廃止前の行政事件訴訟特例法一条にいう行政処分にあたらず、抗告訴訟の対象にならないから、第一一五号事件の訴えは不適法である。すなわち、本人のような船員である一般職の国家公務員が公務の遂行中災害を受けた場合に有する災害補償請求権は、国公法、補償法、規則に定める要件にあてはまる事実が生じたときに法律上当然に発生するものであつて、右請求権の発生につき行政庁の何らかの処分の介在を必要とするものではない。したがつて、本人の災害が公務上のものであるかどうかは、実施機関の認定により確定するものではなく、実施機関の認定およびこれについての不服申立に対する判定は、いづれも行政庁としての見解を表明することにより、国家公務員に対する災害補償を簡易迅速に解決するための措置にすぎず、災害補償請求権の存否に何ら法律上の影響を及ぼすものではない。補償法が公務上の災害と認定した場合にだけ補償を受けるべき者に対して通知すべき旨を定め(同法八条)、公務上の災害と認めなかつた場合には通知する規定を設けなかつたこと(規則、船員法には右通知に関する定めはない。)、同法等に公務上の災害の認定等に対する不服申立について申立期間の定めをしなかつたことは、前記結論を裏書きしている。以下この点について、原告の主張が失当である所以を指摘して、前記結論をふえんする。
二1 およそ国が補償金等を支給するについて、法に定めた要件が充足されれば直ちに具体的請求権が発生するか、あるいは、要件の充足によつては抽象的請求権が成立するにとどまり、行政庁の確認行為をまつてはじめて具体的請求権となるかは、立法政策の問題であり、実定法の規定を離れてそのいづれであるかを論ずることはできない。恩給、退隠料、労働者災害保険等社会保険の給付が後者であることは、原告の主張するとおりであるが、国家公務員等退職手当法に基づく退職手当の支給が前者であることは、同法の規定上疑問の余地がなく、労基法に基づく災害補償請求権が前者に属し、したがつて、同法八五条による災害補償に関する行政官庁の審査結果が抗告訴訟の対象となる行政処分にあたらないことは、最高裁判所判決(昭和三一年一〇月三〇日第三小法廷判決、民集一〇巻一〇号一、三二四頁)の示すところであり、国家公務員の災害補償も労基法のそれと性質を同じくしているから、補償法に基づく補償請求について特に行政庁の確認行為を必要とする実質的理由もない。
2 補償法と労基法を区別する理由として、原告は労基法八五条三項の改正規定をあげているところ、右改正以前から前記行政庁の審査結果は行政処分にあたらないと解されており(右改正により一層明確になつた。)、前記最高裁判決も右改正前の事案にかかるものであるから、補償法に同趣旨の規定がないことが反対に解すべき理由とはならない。
3 補償法が人事院等に罰則を伴う調査権限を付与しているのは、人事院等の審査または補償実施の迅速、公正を確保するために必要な措置を行なえるようにし、これを担保するため罰則を定めているのであるから、これらの定めが、人事院の判定等が行政処分でなければ合理性を欠いでいるとはいえず、したがつて、これらの規定から右判定等が行政処分であると根拠づけることも困難である。
4 人事院規則一三―三は昭和三七年一〇月一日に施行されたものであり、それまでは人事院規則一六―〇(職員の災害補償)二二条ないし三三条に比較的簡略な規定がおかれていたにすぎない。また、補償法の完全な実施の責に任ずる人事院(同法二条)の判定が実施機関を拘束することは当然であるが、右判定が指令でなされるからといつて直ちにこれが補償を受けるべき者の権利義務に影響を及ぼすものではない。
5 人事院の災害補償審査の判定を行政処分であるとして、出訴期間の経過により確定させ、司法上の救済の途をとざす実質上の必要性もない。
(被告らの本案の答弁と反論)
一、請求原因事実中
第一項はすべて認める。
第二項中発病の時期を争い、その余の事実は認める。
第三項のうち
冒頭の事実中、がんが公務上の疾病でないことは争わないが、本件死亡が公務上の死亡であることは争う。
1のうち、本人が出航当時健康体であつたことは否認し、その余の事実はおおむね認める。本人の出航に至るまでの間の健康状態、出航後の症状等については後に補足する。
2の(一)のうち、前段は、本人の発病から死亡までの期間が平均より短かかつたことは争わないが、公務遂行ががんの疾患を著しく増悪させた点は争う。後段中、公務遂行に因る肉体的条件の悪化が本人の死の転機を著しく早めた点は争う。
2の(二)は争う。本人が陸上勤務をしていたとすると、五月二〇日の出航日以後六月下旬までの間に治癒手術を受ける可能性はあつたかも知れないが、原告の主張によると、本人は以前がんの自覚症状はなく、出航当時は頑健そのものであるから、腰部に鈍痛の生じた六月下旬までの間に治癒手術を受けることは、通常考えられない。更にまた、同人ががん疾患を自覚して手術を求めたとしても、その段階における治癒手術可能の確率は、当時の治療方法、水準からみて、極めて乏しかつたといわざるをえない。また、原告主張の姑息な治療では平均六・六月程度しか延命の効果はなく、この程度の機会の有無は、公務災害補償の対象とはならない。
2の(三)は争う。
第四項は、本人の死亡が公務上の死亡にあたることを争い、その余の事実は認める(但し、被告人事院関係のみ)
第五項中、本人が公務死にあたる場合、原告に支給すべき補償額がその主張どおりであることは認める。(但し、被告国関係のみ)
二、本人の死亡は、公務上の死亡と認定することはできない。すなわち、
1 本件航海に出発前の本人の健康状態は、すでに答弁したところから、また、船山医師に対する主訴が胸やけであり、昭和三四年四月二三日の再診では、症状は多少緩和されたが、同年五月一五日まで内服薬の投与を引き続き受けていることからすると、本人には、本件出航の相当以前から、その症状の程度は必ずしも明らかでないとしても、すでにある程度の自覚症状を伴つた胃の不調事実があつた。
2 本人の出航後の症状については、既に答弁したほか、出航直後からもつぱら軟かゆの摂取を続け、あわせて栄養剤・下剤(重症用)を服用し、七月一二日頃から胃痛とともに悪心を伴う食欲不振、全身倦怠感を自覚し、便秘がちで便は黒色を呈し、入院時においては非常に重症な状態に陥つていた。
3 以上の症状からすると、六月下旬から七月上旬にかけて現われた疼痛等の自覚症状は、当時すでに胃がんが肝臟等に転移し、全く療養効果の期待できない病態であつたから、それより約一ケ月前の出航当時においても、その症状は、治癒の可能性がほとんどない程度まで進行していたといわねばならず、本人が本件航海に従事することなく、前記自覚症状の現われる以前に診察を受けていたとしても、本疾患の回復の望みはなかつたといえよう。もつとも、本人の前述した本件航海中の労働条件等が同人の衰弱した体力の消耗を促進し、間接的にがん疾患の悪化に影響を与えたことは否定できないが、本疾患自体の自然増悪過程においても予期できない程度の著しい症状変化をもたらしたと認められず、本人が安静につとめたとしても、がんの性格と病態からして、右疾患自体の本態的経過に格別の影響を及ぼしたとは考えられない。
三、以上からすると、本人の本件調査に従事した公務遂行により本疾患が著しく増悪したとは到底解せられないから、本人の死亡は公務上の死亡にあたらず、したがつて、被告人事院の本件判定に何ら違法の点はなく、また、被告国が原告に対して災害補償をすべき義務はないから、原告の本訴請求はいづれも失当として棄却を免れない。
第四、証拠関係<省略>
理由
(第一一五号事件関係)
1、本訴えが補償法二四条二項に定める人事院の判定の取消を求めるものであることは、原告の主張自体から明らかであるところ、右判定は、被告人事院が述べているのと同一の理由により、行政事件訴訟特例法一条(本訴えは昭和三六年一〇月二五日受付で提起されているから、同法が適用される。)にいう行政処分にあたらず抗告訴訟の対象にならないと解するのが相当である。なお、関係法令として、国家公務員の共済給付について、国家公務員共済組合法(昭和三三年法律一二八号)は、「給付を受ける権利は、その権利を有する者の請求に基いて、組合が決定する。」(四一条一項)旨定めて(尤も、本人のようないわゆる恩給公務員については、国家公務員共済組合法の長期給付に関する施行法(昭和三三年法律一二九号)の定めにより、本件死亡時は長期給付については恩給法が適用されていた。)、公法人である組合の確認行為をまつて具体的請求権を発生させている点を付加する。
2、原告は、被告人事院の本件判定が抗告訴訟の対象にならないとの申立ては、時期に後れた主張であるから許されない旨主張しているところ、本件判定が抗告訴訟の対象となるべき処分性を有しているかどうかは職権調査事項であり、いわゆる妨訴抗弁に属するとも解せられないから、右主張は理由がない。
以上により、本訴えは不適法であるを免れない。
(第三号事件関係)
一、請求原因第一、二項の事実は、第二項中本人の発病時期の点を除いてすべて当事者間に争いがなく、本人の死亡診断書に記載されているがん疾患が人事院規則一六―〇(職員の災害補償)に定める公務上の疾病にあたらないことは、関係規定から明らかであり(この点当事者も争つていない。)、本人の病状が本件調査に従事するという公務遂行中に増悪したことも、当事者間に争いがない。
二、先ず、本人の右公務遂行が、同人の疾患の発病ないし進行に積極的な役割を果してこれを著しく増悪させ、その結果同人の死の転機をもたらしたかどうか(原告のA1の主張)について、以下検討する。
1、本件航海出発前の本人の健康状態
当事者間に争いのない事実と成立に争いのない甲第六号証、乙第九、一五号証、第一〇、一八号証の各二、証人川尻克則の証言から成立の認められる乙第一一号証、証人船山市朗、高橋利治の各証言、原告本人尋問の結果を綜合すると、次の事実を認定することができる。
本人は、昭和三三年二月一一日および本件出航直前の同三四年五月九日の勤務庁における定期健康診断の結果では、いずれも心臟肥大および大動脈硬化症と判定されているだけであるが、可成り以前から時折胃腸の不調を訴え、同三二年一二月がん研究所附属病院で慢性胃および大腸炎の診断を受け、また、当時頃胸やけ程度の主訴で一、二回船山市朗医師の診察を仰いだこともあり、次いで、同三四年四月三日同様の主訴で同医師から慢性胃カタルの診断を受け、同月二三日の再診時右症状はいくらか緩和したようであつたが、五月一五日まで引き続き内服薬の投薬を受けた。
右事実によると、本人は、本件航海に出発する相当以前から、その症状の程度は必らずしも明らかでないが、すでにある程度の自覚症状を伴つた胃の不調事実があつたことは否定できず、出航当時本人が外見上健康そのもののように見受けられた事実(後記四参照)も右認定の妨げとはならず、他に右認定を左右すべき証拠はない。
2、本件航海中における本人の症状経過
当事者間に争いのない事実と成立に争いのない乙第一、二、六、七号証、証人長尾儀郎、石原啓明、猪瀬彰三、宮森澄夫の各証言、前掲尋問の結果を綜合すると、次の事実を認定することができ、他にこれを左右すべき証拠はない。
本人は、出航後間もないころから便秘勝ちで重症用下剤を服用し、六月下旬頃から腰部に鈍痛を覚えたが、持病の神経痛が再発したものと思い、鎮痛剤、あんま、指圧等による治療を試みていたところ、七月上旬には疼痛は背部、左大腿部裏側にも拡がり、同月一二日頃からは胃痛を伴い、便秘は依然おさまらず、便は黒色で、時折悪心があり食欲不振、全身倦怠感等を覚えるようになつた。たまたま同月三〇日入港したアダツク島の米国海軍病院において胃けいれんの診断を受け、これが治療薬を受けて服用したがその効き目はなく、症状は悪化の一途を辿り、八月中旬には船内の歩行等もひとりでできない程非常に衰弱した。この間の本人の食事は、当初は時折軟かゆをとる以外は普通食であつたが、七月下旬頃からはパン少量とジユース、スープ、ミルク程度しか食べなかつた。
3、本人の入院から死亡までの病状経過
当事者間に争いのない事実と前掲乙第七号証、成立に争いのない乙第一四号証の一ないし八、証人佐藤直正の証言によると、八月二五日入院当時における本人の病状は、高度の貧血で顔面蒼白、肝臟は右の乳線上に三横指
の触知があり、硬度が非常に硬く、肝左方に小手拳大の腫瘤も触知できる等の非常な重症であつたところ、同月三一日ウイルヒヨウ腺転移が覚知され、種々治療の効果もなく、九月三日死亡した事実が認定でき、他にこれを左右すべき証拠はない。
4、本人の死因病名、発病時期およびがんと精神的また肉体的消耗との関係
前掲川尻証言から成立の認められる乙第一二、一三号証鑑定人梶谷鐶の鑑定の結果とその供述によると、本人の死亡病名は、胃がん兼肝およびウイルヒヨウリンパ節転移およびがんの後腹壁への波及であり、臨床上本胃がんの発病は同三四年四月初め以前であること。がんはひとたび発生すると、特に外部からの影響がなくても自律的な増殖性をもつて拡大進行してゆくというのが医学上定説とされており、激務による精神的および肉体的消耗が病理学上人体の胃がんの増殖に著しい影響を与えるとは考えられぬこと。本件がんは、その経過速度からみて、増殖の速い髄様がんの疑いが強いところ、その速度の早さが、がんそのものの性質または環境のいづれを主とするものか医学上決定できないこと。以上の事実が認定でき、弁論の全趣旨から成立の推認できる甲第一号証(木室利夫医師の意見書)記載の本件がんの発病時期についての見解、前掲乙第七、一一号証、成立に争いのない乙第八号証および前掲佐藤証言中における激務等による精神的、肉体的過労が本件がん疾患の進行を促進し悪化させた旨の船山医師および佐藤直正医師の意見は、右過労等が本件がん疾患の進行に対し、直接的また積極的に作用したことを意味しているとすれば、その限りにおいてたやすく採用できず、他にこの点の証拠はない。(成立に争いのない乙第三、四号証中の前記過労と疾患の悪化の関係についての記載は、医学についての素人の意見にすぎないから、採用の限りでない。)
5、以上からすると、本人は、本件航海に出発する以前すでに胃がんが発病している以上、前述した北洋の劣悪な自然環境等の下において、がん疾患による激痛にひるむことなく、旺盛な責任感をもつて任務終了まで船長として終始その任にあたつたことは、その情において掬すべきものがあり、かつ、これが本人に著しい精神的、肉体的な負担を強いて体力の消耗を促進させ、右疾患の悪化に影響を及ぼしたことは否定できないとしても、同疾患の自律的な増殖性、特に本件がんが髄様がんの疑いが多分にあることから考えると、本件公務遂行が本人の疾患に対して、右増殖性と共働して直接的、また、積極的な役割を果してこれを著しく増悪させたと解するには充分でなく、これが影響は、畢竟、間接的な程度にとどまると解するのが医学上の経験則に照らして相当であるから、本人の死亡を、国公法、補償法等に定める公務上の死亡に該当するということはできない。
三、原告のA2の主張について。
本人の死亡診断書の病名の一に続発性貧血症があげられていることはすでに述べたところ、前掲梶谷鑑定によると、一般に死因として心臟衰弱をあげることは適切でなく、その前の段階の病名を書くべきであり、前記貧血症は胃がんによる胃出血に基づくものであることが認定でき、本件死因ががんであり、本人の過労等がその死亡について間接的な影響を及ぼした程度であることはすでに判断したところであるから、原告の本主張も採用できない。
四、原告のB1の主張について。
早期発見、早期治療ががん治療の最良の方法であることは前掲梶谷鑑定から明らかであるところ、同鑑定と前掲乙第一〇号証の二、第一二、一五号証、長尾、高橋、石原、猪瀬、宮森、船山証言、原告尋問の結果、成立に争いのない甲第一四号証の一、二を綜合すると、本人は、前述したように本件出航当時すでに胃がんを発病していたが、これが自覚症状はなく、体重は二二貫四〇〇匁あり、外見は頑健そのもののようで動作等に何ら異状はなく、このため、前記四月三日の診察時およびその後一、二度船山医師から、本人の年令(成立に争いのない甲第七号証によると、明治三七年一〇月一五日生れである。)酒量(晩酌三ないし五合、一週五回程度)、船上勤務等を慮つて胃の精密検査をするよう強くすすめられたが、一向これを意に介することなく、本件出航直前も友人とウイスキーを飲み、また、出航後も疼痛が激しくなる頃までは酒をたしなんでいたこと。前述した六月下旬から七月上旬にかけての腰部の鈍痛自覚、次いで背部および左大腿裏側へのこれが拡大は、胃がんの肝、リンパ節転移を物語るもので、その頃には治癒手術がほぼ不能であること。しかも胃がんの手術を行なうには、事前に種々の検査を行なう等の準備が必要であり、昭和四〇年の鑑定時においてさえも、これが期間として一〇日ないし二週間を少くとも必要としたことが認定でき、前掲甲第一号証中右に反する治癒の可能性についての木室医師の見解は採用できず、他にこれを覆すべき証拠はない。
右事実によると、仮りに本人が本件航海に出発することなく陸上勤務を続けたとしても、同人の日頃の健康に対する関心、配慮の程度からみて、六月下旬頃の鈍痛を自覚するまでの間に医師の診察を受けることは、まず期待しえないといつても過言でなく、右腰痛等の自覚当時はすでに病状は治癒手術不能の域に達しており、しかも、右手術を行なうためには、これが準備に相当の日数を要するから、以上からすると、陸上勤務の場合においても、治癒の機会は極めて乏しかつたといわざるをえない。したがつて、本件航海に参加したことにより、早期発見、早期治療の機会を失つたとはいえないから、本主張も採用できない。
五、原告のB2の主張について。
前掲梶谷鑑定によると、進行した胃がんの姑息的治療として、外科手術、これが困難またはその効果がない場合放射線療法その他の内科的対症療法があるが、これによつてはある程度の苦痛の軽減またはある程度の延命効果(同鑑定人の経験では、肝転移後の胃切除術で平均六、六月、胃腸わん合術で四、八月、単開腹術で三、九月)しか期待できないことが認められるところ、右療法を行なうためにも事前の検査等に若干の日時を要することは前述したところから容易に推認できるから、そうだとすると、本人が仮りに陸上勤務を続けて右療法を受ける機会があり、幸いにして延命の効果が期待できたとしても、前述した本疾患が髄様がんの疑いが強い点からみて、前記程度の自覚症状が発生してから後の延命期間は、遺憾ながら短期間にすぎないと推論せざるをえない。したがつて、本件航海に参加したことにより姑息的治療の機会を逸したことが、本人の死亡に直接的な影響を及ぼしたとは解せられないから、本主張も採用できない。
六、原告のCの主張について。
原告が乗船した天鷹丸に医師が乗船しておらず、また、当時水産庁所属船員について船舶予備員制度がなかつたことは、成立に争いのない甲第一一号証と証人金崎亮次の証言から明らかであるところ、成立に争いのない甲第一〇号証と同証言によると、船員法上天鷹丸に医師を乗り組ませることは必要とされておらず、仮りに医師が乗船していたとしても、同船のトン数(二一八トン)、乗組員数(前掲石原証言によると二八人)からみて、船医が本疾患の前述した症状経過に対して有効適切な治療を行なうことができたと考えることはできない。次に、予備員制度については、前述した本件出航当時の本人の健康状態と同人のこれに対する関心の程度からみて、仮りに右制度が採用されていたとしても、本人が乗船を取り止めたとは考えられず、仮りにこれを取り止めて陸上勤務を継続し、また、途中下船して療養につとめたとしても、同人の死の転機を妨ぐことができなかつたことは、すでに判断したところから明らかである。したがつて、これらの制度が採用されることがより望ましいからといつて、同制度を採用しなかつたことが、本件で考慮すべき法律上の責任を生ずる事由になるとは解することができず、本主張も採用できない。
七、以上からして、本人の死亡が公務上の死亡にあたる理由づけとして原告が種々主張するところは、いづれも採用することができず、他に原告はこの点について主張、立証するところがないから、同死亡が公務上の死亡にあたることを前提とする本請求は、更に進んで判断するまでもなく理由がないというべきである。
よつて、原告の被告人事院に対する訴え(第一一五号事件)を却下し、被告国に対する請求(第三号事件)を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 浅賀栄 宮崎啓一 大川勇)